東京下町探訪「神楽坂」 [歩こう]
3月13日(木) 小雨
今日は、公民館の恒例行事。『東京下町探訪』 に参加した。
《都の西北、シェイクスピアの早稲田大から、
粋な黒塀見越の松、石段、石畳、浪漫香る路地町 神楽坂界隈》
小雨と時おりの強風の中、総勢23名。お疲れさまでした。勉強しました。
・早稲田~地名の由来
江戸時代、この地域に生育の早い田んぼが多かったことからつけられた。
大学構内の建物
坪内逍遥記念博物館
逍遥の銅像
・神楽坂~地名の由来等
若宮八幡宮の「神楽の音」がこの坂まで聞こえたから、の説がある。
明治に入り花柳界が発展、神楽坂の文化が芽生えた。
尾崎紅葉、坪内逍遥、泉鏡花等が活躍。
昭和の花柳界最盛期には芸者置屋160軒余、芸妓600人余、
現在では置屋5軒、芸妓25人。
赤城神社 この地を治めていた牛込氏ゆかりの神社
境内にマンションが建てられていた。 違和感あり。
昼食は「鳥茶屋」の-鳥すき丼-
黒塀と石畳
「かくれんぼ横丁」を散策し、帰路についた。
今日は、公民館の恒例行事。『東京下町探訪』 に参加した。
《都の西北、シェイクスピアの早稲田大から、
粋な黒塀見越の松、石段、石畳、浪漫香る路地町 神楽坂界隈》
小雨と時おりの強風の中、総勢23名。お疲れさまでした。勉強しました。
・早稲田~地名の由来
江戸時代、この地域に生育の早い田んぼが多かったことからつけられた。
大学構内の建物
坪内逍遥記念博物館
逍遥の銅像
・神楽坂~地名の由来等
若宮八幡宮の「神楽の音」がこの坂まで聞こえたから、の説がある。
明治に入り花柳界が発展、神楽坂の文化が芽生えた。
尾崎紅葉、坪内逍遥、泉鏡花等が活躍。
昭和の花柳界最盛期には芸者置屋160軒余、芸妓600人余、
現在では置屋5軒、芸妓25人。
赤城神社 この地を治めていた牛込氏ゆかりの神社
境内にマンションが建てられていた。 違和感あり。
昼食は「鳥茶屋」の-鳥すき丼-
黒塀と石畳
「かくれんぼ横丁」を散策し、帰路についた。
2014-03-13 21:47
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コメント(2)
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鳥茶屋が懐かしいです。
むかしはよく利用してました。
by cocoa051 (2014-03-14 04:47)
再訪したい「神楽坂」です。
by NO NAME (2014-03-14 17:28)