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手術をしました [健康]

2月20日(土) 曇

365日晩酌を欠かしたことのない私が、2週間の禁酒を経験した。白内障の手術を受けたためである。
2/5に右眼、2/12に左眼の手術をした。手術時間は10~12分程度。1泊二日。平井駅近くのN眼科病院。
視力が回復し視野に明るさが戻る。星空がクッキリみえるようになった、少年の気持ちに戻る。大感激である。
解禁日は一昨日の2月18日、久しぶりの熱燗は美味最高、ユックリ味わった。

眼の異常の発端は昨年の2月8日。夜のテレビドマラ2時間を熱中し見終えた後、突然右眼が見えなくなった。
わけもわからず就寝したが翌朝は回復している。 気になり午後眼科受診。先生の声が突然大きくなった。
 『Sさん、眼圧が両眼とも異常に高い。即、レーザー手術をしますね。』 手術を終え先生が説明する、
 『昨晩はいわゆる発作と思われます。発作後72時間以内に処置しないと失明につながるところでしたよ。』
緑内障と診断された。以降20日に1回の通院診察検査と点眼での治療が約1年続いたが、白内障も出てきた
ため今回の手術となった。人工レンズは厚さが薄いため眼圧の改善がみられるようである。

誕生月に健康診断を受けてきたが、眼の検査までは考えが及ばなかった。
年1回の眼底・眼圧検査を皆さまに是非お薦めしたい。 

友人K氏から届いた写真:曽我梅林(小田原)
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「転ばぬ先の杖」 「後悔先に立たず」 またも勉強でした。


”息吹”と治療終了 [健康]

3月7日(水)

退院後1週間の今日は指示された診察日である。

玄関先の「クリスマースローズ」は今が盛り。
3月6日の誕生花。別名「雪起こし」
”冬枯れの大地で雪を持ち上げて花を咲かせる”という。

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診察の結果は「順調」、本日にて治療は終了。後は自らのリハビリで機能回復に努めるのみ。

診療科目に「手の外科」
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手術後18日目
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病院は相変わらず盛況、70分待たされた。



12日間の入院 その2 [健康]

3月1日(木)

多くを学んだ入院生活の12日間。

5人部屋の仲間と語る
・2年間手首の痛みで5回病院を転々とした、やっとこちらで確定し手術となった。
・事故で右手中指を潰した。1ヶ月で3回の手術、希望があるから嬉しい。皆が待っている。
・始めからこの病院に来ていたら無駄な時間はなかった。

看護師
素早い対応、的確な答えと明るさに癒された。
ある朝、怒声が響く。「何してるの! おばあちゃん! 駄目でしょう。」 
骨折手術翌日の絶対安静の彼女が歩いているのである。
椅子に固定されナースステーション内で監視下におかれてしまった。

食事
一人、ベッドで黙しての33回の食事。これこそが戦いであった。

看護師 お世話になりました。
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病院食
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”看護師に幸 多かれ”

12日間の入院 その1 [健康]

2月29日(水)

2月18日(土)入院・午後手術、2月29日(水)退院の12日間であった。
右手親指が掌側に曲がり、伸ばせなくなった。「デュプイトラン拘縮」という。

右腕ワキの下注射の部分麻酔で手術が始まった。親指の厚くなった腱膜を切除する。
先生と会話しながら進められるが手術部を見ることは出来ない。
「切開のメスが走る、皮膚を開いている、不要な索状物を除去している。閉じる。」
全ての状況を皮膚より感じ取れた。摩擦感・引攣感で知る、痛みはない。
流れるような手際の良さ。30分程度で終了。
その後1週間朝晩の点滴、毎日の消毒が繰り返され予定通りの退院となった。

積雪の入院、降雪の退院。天皇陛下と同時刻頃の手術、記憶に残る24年2月となった。

手術前 (腱が盛り上がっている)
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手術後4日目
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退院日帰宅時の庭 (2階より)
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晩酌が楽しみだ!

3日間の緊急入院! [健康]

11月5日(土)曇

11月3日起床時に痛み出し15分程で治まった「左胸の痛み」が3時間後机に向かって
いる時に再発した。左胸を掴まれる乾いた痛みが広がってきた。30分続く。決断する。
ふらつく足で階段を下り妻に伝える。「胸が痛む、S病院へ行ってくる」 青ざめる妻。

S病院は我家から徒歩5分の所にあり30年来の付き合い。特養ホーム、ケアーセンターも
併設。特に5年ほど前から私の高血圧と不整脈の管理をお願いしている。後者は一部乱れ
があるということから経過観察で治療はしていない。

文化の日はS病院は休みだがドクターは居るはずだと確信して向かう。
幸いに院長は在室。一連の状況説明をすると直ちに車椅子に乗せられ、
心電図室へ通された。心電図検査とともに点滴が開始。「白い舌下薬」投与。
「どうですか」「うそのようです、治まりました」 暫し沈黙の後、院長先生の言葉
「狭心症の恐れがあります。心配な状態です、今から救急車で医療センターへ搬送します。」
駆けつけた妻、院長先生とともに救急車へ。クッションが良くないことをに気づいた。

センター集中医療室のベッドの中で採血、脈拍、点滴、心電図、胸レントゲン検査等が行われ、
最後に担当医が念入りにエコー検査を行った。胸の痛みは1~2割。この間20分程度か。
5分後妻が呼ばれ説明を聞く。
「不安定狭心症の疑いがあり、心臓カテーテルを明日実施。その結果で治療方針を決める。
今日は入院。手術となれば10日前後入院でしょう。なにもなければ3日後に退院です。」


今日、3日後の退院となった。 感謝!


千木秀矩画集より
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果物のスター リンゴスターとジョンレモン



再び [健康]

3月23日(水)
余震等で落ち着かない日々を過ごしている。
4年前に右手の手術をした。2年前同じ症状が左手に現れ、今年に入り一段と進む。体質であるといわれた。
今日やっと病院へ行く。計画停電余波の間引き運転電車の40分。笑顔の担当医に迎えられる。
診察5秒、手術・入院10日を告げられる。感謝である。苦境のなか懸命に生きる被災地の皆さまとは比べようもない。明日を信じ生き、そして全とうして頂きたいと祈念する。草も花も我々もいろいろだから由と思う。
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