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木下街道を歩く [地域を知る]

11月11日(日)曇

木下(きおろし)街道を行徳の起点から数キロmを2時間ほど歩いた。

木下街道は主要地方道「市川印西線」で県道59号線。鹿嶋道、銚子道とも云われている。
江戸時代、銚子の鮮魚を次の日の朝には日本橋に届ける飛脚が行き来し、成田詣でが
盛んになると成田山参詣道として賑わった。(行徳-八幡-白井-木下)

行徳の起点:14号線のこのT交差点から手前に始まる木下街道
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鬼越二丁目の標識 繁栄を伝えるお店と土蔵(味噌醸造元)
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常開寺の百日紅:脚部は樹皮のみ
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日蓮宗、応安7年(1374年)創建。


14号線沿いの家
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第六天社の狛犬:ちょっと変わった風貌だ
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北方十字路
中山競馬場の近く、県道180号線(市川松戸線)の交差点が「北方(ボッケ)十字路」。
「ボッケ」は「ハケ」の転で、地名用語としては「崖」という。中山台地が大柏川の流れに
削られて剥き出しの赤土がみられた。 ウーム!北方をボッケとよませるとは。
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幕府支援の入浜式「行徳塩田」は大量の松の葉を必要とした。行徳へは松の葉を、帰りは馬の背
に塩が積まれ往来。現在の京葉道路、湾岸道路などに劣らない重要な『木下街道』だったようだ。






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コメント 2

夏炉冬扇

こんばんはる
14号線の家、なかなかいいです。
by 夏炉冬扇 (2012-11-12 18:21) 

ダイとクロ

夏炉冬扇様
今年に入りこのような建築物の解体が
多くなりました。更地が目立ちました。

by ダイとクロ (2012-11-12 22:17) 

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