千葉 流山周辺の旧跡巡り [歩こう会]
11月11日(金) 快晴
本日、歩こう会へ。参加者約90名。江戸川沿いを散策しながら旧跡を巡った。勉強した。
平和台3号公園→近藤勇陣屋跡等→江戸川土手(昼食休憩)→
一茶双樹記念館→赤城神社→平和台駅解散 6km
流山は、江戸時代から江戸川を利用した水運、みりん醸造の所として栄えた。
みりんの開発者5代目、秋元三左衛門(1763~1827)は、双樹と号して俳句を
たしなみ、小林一茶と深い親交をもった。一茶は双樹のもとを50回以上も訪れた。
近藤勇は1868年4月2日、敗走の220名余の幕府歩兵隊は「矢切の渡し」より流山村に
着いた。この情報を得た新政府軍が近藤勇本陣を包囲し、4月3日錦の御旗をたて、
砲撃が開始されたが戦死者はない。近藤勇が「覚悟の出頭」をしたからであった。
江戸城無血開城の1週間前の出来事である。
300人が力を合わせ造る。
直径40cm大縄3本をねり合わせ、長さ6.5m太さ1m重量500kg
本日、歩こう会へ。参加者約90名。江戸川沿いを散策しながら旧跡を巡った。勉強した。
平和台3号公園→近藤勇陣屋跡等→江戸川土手(昼食休憩)→
一茶双樹記念館→赤城神社→平和台駅解散 6km
流山は、江戸時代から江戸川を利用した水運、みりん醸造の所として栄えた。
みりんの開発者5代目、秋元三左衛門(1763~1827)は、双樹と号して俳句を
たしなみ、小林一茶と深い親交をもった。一茶は双樹のもとを50回以上も訪れた。
近藤勇は1868年4月2日、敗走の220名余の幕府歩兵隊は「矢切の渡し」より流山村に
着いた。この情報を得た新政府軍が近藤勇本陣を包囲し、4月3日錦の御旗をたて、
砲撃が開始されたが戦死者はない。近藤勇が「覚悟の出頭」をしたからであった。
江戸城無血開城の1週間前の出来事である。
準備運動
近藤勇本陣跡
江戸川土手の昼食
一茶双樹記念館
赤城神社の大しめ縄
300人が力を合わせ造る。
直径40cm大縄3本をねり合わせ、長さ6.5m太さ1m重量500kg