御朱印(10) [地域を知る]
8月24日(月) 晴
中山法華経寺参拝を終え、市川真間駅より徒歩10分の「弘法寺」へ向かった。
山号:真間山 寺号:弘法寺(ぐぼうじ) 宗派:日蓮宗 住所:市川市真間4-9-1
奈良時代天平九年(737)、行基がこの地に立寄りの折、里の娘、手児奈の秘話を聞き、
哀れに思い、一宇を建立「求法寺(ぐぼうじ)」と名づけ、その霊を弔った。
手児奈の秘話
この真間の里にそれは美しい娘がいた。その美貌なるが故に、めとりたい男たちは
あい争った。手児奈は男たちが互いに傷つくのを嫌って、真間の入江に身を投げる。
万葉歌人、山部赤人がこの地を訪ね詠む
~われも見つ人にも告げむ葛飾の、真間の手児奈が奥津城処~
およそ百年経た平安時代弘仁元年(822)、空海が七堂伽藍に再建し「求法寺」を
「弘法寺」と改称した。そして鎌倉時代(1275)、中山法華経寺との問答に敗れ
法華経寺の道場として開山する。
中山法華経寺参拝を終え、市川真間駅より徒歩10分の「弘法寺」へ向かった。
山号:真間山 寺号:弘法寺(ぐぼうじ) 宗派:日蓮宗 住所:市川市真間4-9-1
奈良時代天平九年(737)、行基がこの地に立寄りの折、里の娘、手児奈の秘話を聞き、
哀れに思い、一宇を建立「求法寺(ぐぼうじ)」と名づけ、その霊を弔った。
手児奈の秘話
この真間の里にそれは美しい娘がいた。その美貌なるが故に、めとりたい男たちは
あい争った。手児奈は男たちが互いに傷つくのを嫌って、真間の入江に身を投げる。
万葉歌人、山部赤人がこの地を訪ね詠む
~われも見つ人にも告げむ葛飾の、真間の手児奈が奥津城処~
およそ百年経た平安時代弘仁元年(822)、空海が七堂伽藍に再建し「求法寺」を
「弘法寺」と改称した。そして鎌倉時代(1275)、中山法華経寺との問答に敗れ
法華経寺の道場として開山する。
山門
仁王門
祖師堂
御朱印を頂く。
2020-08-24 15:04
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